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”日本酒の“テロワール”と勝山の挑戦

お米と水だけじゃないんです。
「テロワール」と聞いて、
ワインのことを思い浮かべる人は多いでしょう。
土壌、気候、ブドウ畑……。
でも、日本酒のテロワールは、
それだけじゃ語れません。
実は、日本酒の味わいを決めるのは、
目に見えない“いのち”の世界。
酵母や麹菌、そして蔵の空気、人の暮らしまで、ぜんぶが関係しているんです。

外の環境も大事:山・川・田んぼ・そして空気
もちろん、自然環境もテロワールの大切な一部です。

• 山からの湧き水(やわらかい水? かたい水?)
• 豊かな田んぼ(どんな品種のお米が育つか)
• 冷涼な気候(発酵をゆっくり進めて、なめらかな味に)
これらはマクロなテロワールと呼ばれます。つまり、大きくて見える世界。
でも……
日本酒の本当の魔法は、見えないところで起きているのです。

蔵の中で生きる“いのち”たち

日本酒をつくるのは、主に酵母と麹菌という小さな生きものたち。
彼らはとっても繊細で、住む場所にこだわりがあるんです。

江戸時代(元禄の頃)には:

• 蔵は木造で、壁にも道具にも、たくさんの“良い菌”が住んでいました。
• 蔵人は住み込みで、お米と味噌や漬物など、発酵食たっぷりの暮らし。
• 手作業が中心で、人の肌や衣服についた菌も、蔵の一部になっていきました。
つまり、ひとつの蔵が独自の微生物たちの“宇宙”をつくっていたんです。

現代では:

• ステンレスタンクや機械換気で、
清潔で無菌に近い環境。
• 蔵人も外から通勤。食生活もバラバラで、
菌の共生は難しくなっています。
• 多くの“蔵つき酵母”や“蔵つき麹菌”は、
姿を消してしまいました。
技術は進化しましたが、
どこかで“魂”が
失われたのかもしれません。

テロワール=土地 × 水 × そして人間の暮らし

だからこそ、日本酒のテロワールはこう言い換えられます。
「自然だけじゃなく、人間の生き方や空気感までも含めた“いのちの風景”」
• 蔵の壁や床にしみついた年月
• 蔵人の食べるご飯
• その土地の気配や風、
歌や笑い声すべてが、
日本酒の味に反映されていくのです。

酒は、“生きた記憶”そのもの

本当においしい日本酒は、
ただの飲みものではありません。
“生きた記憶”が詰まった、いのちの結晶 です。
土地の記憶、人の暮らし、空気の香り……
それがすべて、静かに一杯の酒に宿っている。

だから、次に日本酒を呑むときは、
どうかグラスの中だけでなく、
その酒を育てた“見えない世界”にも想いを馳せてみてください。
酒はただの液体ではありません。
それは、時と場所と“生き方”の記録 なのです。

腐造との闘いと、“酒造りの魂”の系譜

さて、酒造りの歴史において、
最大の敵は“腐造”だった。
目に見えぬ菌の変化が、
一夜にして全てを台無しにする。
それは自然の猛威であり、神の試練でもあった。
そして造り手は悟ったのだ。

この現象は、ただの物理現象ではない。
神の御業だ。
いかにすれば、その“神の手”と調和し、
腐らせずに醸すことができるのか。
人は、技術の前にまず祈り、
祈りの中で技術を磨いていった。

「発酵を司る森羅万象の神よ――」
「どうか、我が手と心を導きたまえ。」
「この乱れた世にあっても、神々を悦ばせ、民に静けさをもたらす酒を――」

その祈りの背景には、
野蛮が支配する乱世、奪い合い、疫病、飢えに苦しむ民の姿があった。
そして、そんな時代だからこそ、
たった一杯の酒に、“極楽の気配”を
宿らせようとした。

“腐造”というラスボス

その道のりで、造り手たちが最も苦しんだ敵。
それが「腐造(ふぞう)」と呼ばれる、
火落ち菌よる酒の腐敗現象でした。
ほんのわずかな環境のズレや
微生物のバランスの崩れで、
一冬かけた仕込みが
すべて台無しになる。
それは文字通り、命をかけたギリギリの勝負。
一滴の失敗も許されない、
微生物との真剣勝負だったのです。

この“腐造”との闘いこそが、
清酒造りを
科学へ、そして芸術へと
進化させてきた原動力
でした。
その戦いは、昭和の時代まで続き、
ついに近代技術によって腐造は“克服”されました。
しかし──

ラスボスがいなくなった世界で

腐造が消えた現代、
本来なら、造り手の魂はもっと
自由に、高く、遠くへ
向かってもよかったはず。
でも、どうでしょう?
かつて命がけだった思想や問いは、
“理想的な設計”という言葉に変わり、
“伝統の継承”という看板のもとに、
問いを忘れた造り手が増えてはいないか?
まるで、茶道がかつて武士たちの
精神修行だったのに、
平和の中で“お稽古事”になっていったように──
酒造りもまた、
去勢された技術論と理想論
だけが語られ、
その奥にあった“命と向き合うような意志”は、静かに忘れられてきたのかもしれません。

勝山は問います
「失われた精神を、
今、取り戻せるか?」

勝山は思います。
今、求められるのは「伝統」という名の保守
ではない。
それはただの形式美ではなく、
問い続ける魂そのもののはずだ、と。
私たちは、失われたものを「補う」のではなく、
もう一度“宿す”ことに挑戦しています。
• 現代の味覚と感性をどう読むか。
• それにどう応える酒質設計ができるか。
• どのように“未来に贈る記憶”を酒として
仕込むか。

Samurai Sake という名の挑戦

勝山が志すのは、
過去の杜氏たちが命がけで
育てた酒造りの“精神的テロワール”を
掘り起こすこと。
そして、現代という舞台で、
再び“問い”を持った人間が、
造り手として立ち上がること。
SamuraiSake(サムライサケ)は、
ただの日本酒ではありません。
それは、
戦い、問い、願い、祈り、
そして再生――
人間の精神の全身的挑戦としての酒であり、未来への“いのちの伝言”です。

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